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妙応寺と妙応ばあさん

せつめい

 今から600年もむかしの話。この今須の里を通りかかった旅の坊さんが,日がくれかけたので,道のそばの古いお堂に宿をとろうとしました。村の人がそれを見て,
 「坊さん,そこには毎ばん鬼(おに)が出るというおそろしいお堂じゃぞな。とまるのはやめしにさっしゃれ。」
と,とめましたが,坊さんは,

 「いやいや,わたしは仏(ほとけ)を信ずる者じゃかろ。こわいものは何もない。」
 といって,そこにとまりました。やがて夜がふけて,あたりが死んだようにしずまりかえった真夜中ごろです。どこからかはげしい鬼があらわれて,
 「妙応(みょうおう),妙応。」
とよびます。すると声にさそい出されるようにして,やせおとろえたばあさんが,くらいすみから,つうつうと出てきました。鬼は,持っていた鉄の火ばしをやみにふると,メラメラと業火(ごうか)がもえて,火ばしはまっ赤にやけました。
 「妙応よ。おまえが前世(ぜんせい)でやった悪業(あくごう)のむくいを今夜も
受けるのだ。」              鬼はこうよばれると,焼け火ばしをばあさんの胸(むね)につきおとしました。おばあさんの苦しむ声,鬼のののしる声を耳にしながら,坊さんただ手を合わせて,経文(きょうもん)をとなえていますと,やがて物音もしずまり,鬼も消えて,ほのぼのと夜が明けました。こちらは村の者。さだめてあの坊さんは,骨にでもなっていることだろうと,こわごわのぞいてびっくりしました。お堂の中に,坊さんはすわったまま経文(きょうもん)をとなえているではありませんか。
 「あれは,よっぽど尊(とおと)い坊さんにちがいない。」

村の者はすっかり感心して,坊さんが托鉢(たくはつ)に歩くと,その姿を見て,ささやき合いました。このうわさが時の今須(います)の領主(りょうしゅ),長江重景(ながえしげかげ)の耳にはいりました。
 「それはよい。ちょうど今日はなき母上の一周忌(しゅうき)の命日だから,その僧(そう)に供養(くよう)の読経(どきょう)をしてもらいましょう。」
重景はこういって,坊さんをよんで,お経をよんでもらうことにしました。やしきへあがった坊さんが,仏壇(ぶつだん)に向かって手を合わせ,ふと,なき人の法名(ほうみょう)を見ますと,「妙応大姉」と書いてあります。坊さんは,昨夜のことを思いうかべて,
 「この方はあなたの母御(ははご)ですか。」とききました。
 「そうです。妙応大姉というのは,なくなった母の法名ですが…。なぜおたずねになるのですか。」
重景がふしんそうに聞きますと,坊さんはしばらく考えていましたが,

 「それでは今夜,あなたの母御にお会わせしましょう。」
と言いました。その晩,お堂の中で母の妙応が鬼によび出され,焼火ばしを通されて,もだえ苦しむさまを見て,重景はおそろしさに気をうしなってしまいました。やがて夜が明けて気がつくと,重景は頭をたれて,              「母は生前(せいぜん),たとえば年貢(ねんぐ)の取立てには大マスを使い,賃金(ちんぎん)の支払いには小マスを使うなどして,領民(みょうみん)に非道(ひどう)なことをしてきました。その悪業(あくごう)のむくいを受けて,今地獄(じごく)の苦しみを受けています。お坊さま,なんとか母をこの責苦(せめく)から救う道はございませんでしょうか。」
と,助けを求めました。坊さんは深くうなずいて,
 「母にかわって,子のあなたがざんげし,善事(ぜんじ)を積まれたならば,悪業深い
母と言えども,仏さまは必ずおすくいくださるでしょう。」
と,重景をなぐさめ力づけました。重景は深く感動し,母の追善供養(ついぜんくよう)のため,立派(りっぱ)なお寺を建立(こんりゅう)し、坊さんのすすめにより,能登(のと)の国永平寺(えいへいじ)から、坊さんの師(し)、峨山禅師(がざんぜんじ)を迎えて住職(じゅうしょく)とし、寺名を妙応寺となづけました。坊さんは大徹禅師(だいてつぜんじ)といい、二代目の住職(じゅうしょく)となりました。
 今に伝わる妙応寺の縁起(えんき)です。


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